2013年5月28日火曜日

「詩の通信VII」16号 - 21号《後記》より

トロッタ17終了後、一週間が経ちました。YouTubeに記録映像をアップし、facebookには終演後一週間の記録を載せるなどしています。「詩の通信VII」の発行が2月26日(火)以来、ずっと滞っていたのですが、これも元に戻そうと作業中です。このブログにどんな性格を持たせるか、まだわかっていませんが、「詩の通信VII」六号分の《後記》を載せることで、ひとまずの役割を担ってもらおうと思います。
「詩の通信VII」の読者数は、現在3名です。増えればいいと思います。送料をどうするかという問題がありますが、手渡しという方法も、本気で採用していいかもしれません。

《16号・後記》六号分をまとめてお送りする事態に立ち至りました。言い訳はせず、ここひと月半のできごとを記そうと思いますが、それはトロッタ17について以外、書くことはありません。ドキュメント「トロッタの会」は、六号分お休みします。付録に引っかかっていると、本体をお送りできなくなりますから。トロッタ17が終わって一週間、楽器を返したり、記録映像をYouTubeにアップしたり、お客様にお礼のメールを書いたり、ご来場の方から出演依頼を受けたりと、終わってもトロッタにひたりきる毎日を過ごしています。十二月一日(日)に予定しているトロッタ18の準備、その前の九月二十八日(土)に開催される、「フランシス・プーランク 音楽の肖像」の準備を進めなければなりません。トロッタ終了の余韻にひたるのはけっこうですが、出発点が遠くなればなるほど、そこに思いを戻すことが大切です。トロッタを始めようとした時、私は何を考えていたのか。一言でいって、詩と音楽の発生ということです。詩はどのように音楽になり、音楽はどのようにして生まれるのか。その答えはトロッタの準備、トロッタが開幕する過程そのものにあるでしょう。無我夢中で、振り返る時間もなかったのですが、あくまでも一例として、初参加された秋元美由紀さんの〃See-through echos〃を例に取って記しましょう。この曲は、どのようにして生まれていったか。秋元さんと出会ったのは、何度か公演したことがある、茅場町の森岡書店でした。画家、朝日聡子さんの個展「湖水の窓」のクロージング・イベントが行われ、秋元さんはそこで曲を発表したのです。二〇一一年三月五日のことでした(*続く)。次号第十七号は本号と同日、二〇一三年五月二十七日(月)発行です。二〇一三年五月二十七日(月)

《17号・後記》秋元美由紀さんの曲が演奏された時、私は彼女のことを知りません。なぜ森岡書店に出かけたかというと、かつて共演経験のある、岡安圭子さんの朗読を聴こうと思ったのです。そして残念ながら、何ごとか所用があった私は、朗読を聴いた後、秋元さんの曲を聴かないまま退出しました。申し訳ありません。非常に気が咎めており、当日のプログラムはずっと目につくところに置いてありました。動かさないのでほこりをかぶってしまうほどに。捨てようなどとは思いもよりません。可能性としてですが、秋元さんがトロッタに参加してくれればいい、しかし曲を聴いたこともなく、言葉を交わしただけで帰ってしまった私に好印象を持つわけがないなど、くよくよ思っていました。ところが昨年、思いがけず秋元さんからfacebookのお友達申請があり、これこそ気を晴らしてくれるいい機会だと、すぐ承認させていただいた次第です。どうなるかわかりませんが一度会いませんかと申しこみ、神楽坂で会いました。秋元さんは、お友達の個展が神楽坂のギャラリーであるということで、はるばる逗子からお越しでした。九月二十七日(木)のことです。トロッタに参加する前提で話が進み、思いがけず明らかになったのは、映像作家の服部かつゆきさんが共通の友人だということ。服部さんと私は、二十年近い交流があります。トロッタの記録映像は第一回から撮ってくれています。そして秋元さんと服部さんは、共同で何かしたいと思いながら、それを果たせていなかったのです。ならばトロッタでその思いを実現させようということになり、すぐに電話をかけて、服部さんの快諾を得ました(*続く)。次号第十八号は本号と同日、二〇一三年五月二十七日(月)発行です。二〇一三年五月二十七日(月)

《18号・後記》(〃See-through echos〃ができるまでの記録は、メールの送受信記録を確かめながら書いています)九月二十七日(木)、神楽坂で秋元さんと会った後、十月五日(金)には服部かつゆきさんを交え、品川のカフェで会いました。その時、私は秋元さんのためにギターを持参しています。神楽坂で、楽器編成に話を及ばせていたのです。秋元さんは、ギターを使いたいといいました。ギターのための曲は書いたことがなかったそうですが、長年の思いがあったのでしょう、真っ先にギターをあげたので、お貸しすることにしました。品川の話し合いでは、さらにヴァイオリンを加えることも決め、ほぼ最終的な楽器編成を決めました(ヴァイオリンの話は、神楽坂でも出ています)。木部の詩唱、戸塚ふみ代さんのヴァイオリン、萩野谷英成さんのギター、そして服部さんの映像。詩唱するための詩は私が書きます。しかし、どんな映像を創るのか。この時点では、音楽も映像も詩も、何のアイデアもありません。まったくのゼロから創ろうと確認し合いました。かつて私と服部さんは、『新宿に安土城が建つ』という記念碑的作品で共演しました。戸塚さんがヴァイオリン、フリーミュージックの大熊ワタルさんがクラリネットで参加しました。二〇〇六年五月十九日(金)のことです(七月に再演)。しかしその時は先に詩があり、映像は後から創られたので、純粋にゼロから共同制作したわけではありません。今回はそれと異なる態度で臨もうとしました。秋元さんが作曲する前に、まず私と服部さんでビデオレターを交換することになりました。画期的です。映像作家相手に、私が映像を創る。ほぼ三十年ぶりに(*続く)。次号第十九号は本号と同日、二〇一三年五月二十七日(月)発行です。二〇一三年五月二十七日(月)

《19号・後記》トロッタに映像が登場するのは初めてです。部分的に使われはしましたが、映像作家の参加は間違いなく初めてとなります。映像と音楽は、相性がいいようで、難しい関係にあります。ミュージックビデオの氾濫で想像がつくように、相性がよすぎるのです。映像に音楽がついた途端、ムードに流れてしまいかねません。映像の不足を音楽で補う例は、いくらでもあります。大抵は映像が先に創られ、音楽は後で添えられます。添えるという点で、特に商業映画など、どんな音楽でも何となく合ってしまうのでは? と思うことがしばしばです。しかしそれでは、秋元さんの曲になりません。ギターやヴァイオリンを選んだように、服部かつゆきさんの映像でなければならず、(自分でいうのは気が引けますが)私の詩唱でなければならないのです。楽器を選ぶことであり、音を選ぶことであり、奏者を選ぶことです。私から服部さんへ、第一回のビデオレターが送られたのは、十月十五日(月)のことでした。打ち合わせから十日後です。当時の記憶では、早く撮らなければ、もうそろそろ撮らなければと焦っていたのですが、今にしてみると十日なら早い方です。ゼロからの出発ですから。かつて黒川芳信氏とビデオレターを創っていた時は、直接に会ってビデオテープを交換していたのですが、今回はお互いがYouTubeにアップしたものを観て進めることになりました。その後、私は十月は二十九日(月)、十一月は二日(金)、三日(土)、十日(土)、十九日(月)、二十六日(月)、十二月は五日(水)、そして二〇一三年一月十四日(月)に公開しました。この間に服部さんの公開がはさまれているのです(*続く)。次号第二十号は本号と同日、二〇一三年五月二十七日(月)発行です。二〇一三年五月二十七日(月)

《20号・後記》ある時点で、秋元さんから作曲を始めたいという希望が出ました。ビデオレターを創っていてもいい、創り続けたいと思っていた私にはいきなりのビデオ終結宣言でした。しかし、ビデオレターが作品の最終形態ではなく、音楽作品なのですから、いつまでもビデオを撮っていていいわけはないのです。秋元さんは、服部さんの何回目かの映像を使いたいといいます。服部さんは、それを完成作に撮り直すことになりました。使われたのは私の映像ではなかったし、服部さんの特定の作品を使う以外の選択肢もあったと思いますが、映像に責任を負うのは映像作家以外になく、私には無理な話です。五月十九日(日)がトロッタの本番です。曲の締め切りは一か月前の四月十九日(金)です。やはり、ビデオレターは打ち切る必要がありました。同時に私は気づきました。詩を書かなければならないと。詩がなければ曲は書けません。二月十五日(金)です。私の新作詩「白い夢」が秋元さんと服部さんに送られたのは。無事に採用していただけました。「白い夢」で工夫したのは、視覚性です。音楽作品ですが、映像を用いるので、詩も視覚的でありたいと思いました。改行や文字の配置に気を配りましたが、そのような形式を採ったのは初めてです。「詩の通信Ⅶ」第十三号には、画像を印刷した詩を掲載してあります。やむを得ないのですが、詩を書いた後は、秋元さんと服部さんにおまかせすることになりました。別の言い方をすれば、秋元さんの曲の、今度は演奏者になる番です。さらに私は製作者として、トロッタ17全体に気を配り、トロッタそのものを創っていかなければならなくなりました(*続く)。次号第二十一号は本号と同日、二〇一三年五月二十七日(月)発行です。二〇一三年五月二十七日(月)

《21号・後記》二月二十五日(月)だったでしょうか。秋元美由紀さんが、彼女さんと服部さんと私、三人のページ[Image&Poetry&Sound  Relation(仮)]をfacebook上に作ってくれたのは。お誘いにはすぐ応じましたが、この時点ではfacebookを積極的に使おうという気になっていません。効果が疑問でしたし、どう使いこなしていいかも不明だったのです。今でも不明ですが、もちろん宣伝には、使えるものは何でも使いたいと思います。初演が終わった今になってみると、私は[Image&Poetry&Sound  Relation(仮)]を、もっと活用しなければなりませんでした。使うための工夫ができたはずです。それは記録にもなったし、宣伝にもなったし、意思疎通の道具にもなったでしょう。既にあるブログやサイトと、どう使い分けるかということを含め、今後の課題です。秋元さんの曲名は、〃See-through echōs for Violin, Guitar, Poetry and Image〃に決まりました。服部さんの映像に見られた、にじみ。ビデオレターには、私が創った一回目から、水のイメージがありました。三月十一日(月)に届いた秋元さんのメールに、こんな一節があります。「当初からあった、和紙や光、そして共通のキーワードである、水などすべては、透き通った布のシースルー越しに見えている、そしてシースルーの様な透き通った質感を持つそれらのものの空間。そして、私たち、3人+演奏家の2人の芸術がその空間で互いに響き合う(echosエコーズ)という意味で最近、ずっとそのことを頭の中でぐるぐる考えていました」チラシを印刷所に入れる、ぎりぎりの段階のこと。曲の完成は、四月二十八日(日)でした(*この稿終わり)。次号第二十二号は二〇一三年六月十日(月)発行予定です。二〇一三年五月二十七日(月)

2013年5月25日土曜日

トロッタ17の記録映像をYoutubeにアップしました

トロッタ17の記録映像をアップしました。
撮影は、秋元美由紀さん作曲“See-through echos”の映像を担当した、服部かつゆきさんです。服部さんには、トロッタ1から記録をお願いしてあり、私との交流の始まりは、20年以上前にさかのぼるかと思います。
ご覧ください。

2013年5月18日土曜日

上野雄次さん、鳥の巣車にて阿佐ケ谷(来阿?)。お帰りです。

video

トロッタ17、いよいよ明日です

*この文章は、facebookにアップしたものと同じです。ブログとfacebookをどう使い分けるのか。課題です。


5月18日(土)です。昨日17日(金)は、錦糸町のすみだトリフォニーにて、次の曲の合わせが行われました。
■秋元美由紀さん作曲「See-through echos」
ヴァイオリン戸塚ふみ代さんとの部分合わせ。服部さんの映像と合わせるのですが、自分のタイミングというものが、いかに本来のタイミングとずれているか、よくわかりました。合わせの前に、トロッタ17で使う楽譜の表紙を作っていったのですが、表紙はお客様に見えないにせよ、私の表紙ともいえる衣裳をどうしようと思いました。“see-through”、紗の着物はあり、花の上野雄次さんと共演した際に着たことはあるのですが。18日も合わせを行う予定です。
■田中隆司さん作曲「すなのおんな」
根岸一郎さんと河内春香さんによる合わせ。根岸さんが開始予定時刻より早々と来館され、待機。根岸さんという方は、御自身の興味の方向に、素直に、ストレートに向かっていかれます。武蔵野音大→早稲田→パリ第IV大学という異色の学歴ですが、歌うことが好きなのだなと思います。根岸さんによるトロッタでの歌は、伊福部昭先生で始まりました。プーランクの歌曲を歌う予定もあります。根岸さんの個性を、じゅうぶんに発揮していただける企画を考えたいと思います。
■橘川琢さん作曲「夏の國memento」
橘川さんから、楽譜の指示は措いて、自分の解釈で詠んでよいというお言葉がありました。基本的には、作曲者の意図を尊重します。橘川さんの個展で、橘川さんの詩に依る歌を詩唱した際。いくつかある曲で、それがいちばんよかったというお客様の言葉がありました。自分の言葉もコントロールするのが難しいのに、他人の言葉などコントロールしきれるものではありません。そこに生まれた戸惑いが、お客様には新鮮だったのでは? 「夏の國memento」の第一の課題は、橘川さんの解釈を受けとめることです。
■今井重幸先生作曲「神々の履歴書・渡来の舞」
踊りの皆さんが全員参加されました。踊りは、たいへん潔いものです。それは写真を御覧いただければおわかりと思います。もちろん、踊りを成り立たせ、続けていくためには、潔さだけではない、人間同士の闘いがあるでしょう。しかし、出て来たものは潔いと思います。主に踊りの方々のために、「神々の履歴書・渡来の舞」のチラシを作成。配らせていただきました。


■酒井健吉さん作曲「海の幸〜青木繁に捧ぐ〜」
前回よりも音がだいぶ合ってきました。音が合うとは、酒井さんの意図が聴こえてくることに他なりません。総体的に、私の詠む箇所が少なく、きりつめた表現が必要です。ただ一言、一音に、詠み手=私の存在が表われているかどうか。この詩も「すなのおんな」同様、男性から見た女性の像を詠んだものです。酒井さんは曲を“青木繁に捧ぐ”とし、私も青木の絵に触発されて詩を書きました。1882年生まれの青木は、今年が生誕131年。1911年になくなりましたから、今年が没後102年です。青木のことを、私はもっと想わなければなりません。

2013年5月17日金曜日

トロッタ17まで、残り二日です

一昨日、手持ちのチラシがすべてなくなりました。今回は4000部を印刷し、1000枚単位で出て行く大きな演奏会へのはさみこみもなかったのですが、なくなりました。このような製作仕事から演奏会は始まると確信しますが、音楽そのものではありません。しかし、公演になくてはならないものです。置きチラシなど、無駄になるものも多く、演奏会などで手渡されるチラシのどれほどを、私自身、親身になって持ち帰り、読むかというと、トロッタのチラシも同じ運命をたどっているのだろうと、多少は暗い気持ちになります。このブログについても、facebookなどについても同様でしょう。それでも、できる努力は最後までします。
一昨日になくなったというチラシは、ある芸術系大学の教室に50部送られたものですが、三種類を同封しました。
まず、トロッタ17のチラシ。
次に、全曲の中から「神々の履歴書・渡来の舞」だけのために作った小さなチラシ。
そして、初めてトロッタを知る筈の学生たちに向け、A3両面に数種の文章を割り付けた、促成のフリーペーパー。内容は、当日配布プログラムから、スコットホールも大切な音楽の要素だとする「ご挨拶」ページ、作曲者による曲解説とは別に私が書いた〈全曲の私的解説〉ページ、そして一昨年、北海道新聞に掲載された、伊福部昭先生と更科源蔵氏に触れながらトロッタの活動を報告した文章。以上から成り立ちます。
残り二日。何ができるか、まだ何をしていないか、考えます。
今日は夕方から、すみだトリフォニーで合わせです。

2013年5月15日水曜日

トロッタ17まで、残り四日です

久しぶりのブログ更新となりました。現状は、facebookに日々の報告をしておりますので、このページをご覧の方は、facebookにお回りください。ただ、今後はブログもさらに有効活用したいと思っています。



ここに掲げる長文は、トロッタ17で当日配布されるプログラムに書いたものです。ここ数日、facebookを使うようになったが、もともとあるブログも生かしたい、ブログを訪れてくださる方々もおられるはず、との思いが募っていました。しかしfacebookとブログの両方に書きこむのは、肉体的、時間的、精神的、物理的に不可能です(twitterもできれば、というところです)。何か書けないかと思った結果、プログラムのまとまった文章を、そのまま掲載しようと思いました。先行して発表してしまうことになりますが、意味はあると思います。

まず、当日にお越しになれない方、結果的に、この文章を読めない方が多いと予想されること。
もともと、このブログは、ここに書いたようなことを載せるためにあるので、方向は逸れていないこと。
この文章で、トロッタ17に少しでも多くの方がご興味を持ってくださるのではと、期待できること。

以上のようなわけですが、もちろん、トロッタ17は読んで終わりではありません。実際の舞台に接していただきたいと思います。あと四日となりました。どうぞよろしくお願いします。お問い合わせは何なりとお願いします。(*写真はプログラムに掲載されるものですが、プログラムはコピー印刷なので、ブログの方が鮮明です。一部そうなっていますが、最終的には、ほとんどの写真がプログラムと別のものになります。5月15日5時42分初回アップ/8時22分更新)

WEB限定版
【トロッタ17、全曲の私的解説】

この文章は、トロッタの関係者全員と連絡を取り合う木部与巴仁が、その交流の過程で思ったこと、考えたことをまとめたものです。作曲家の考えは別のところにあるでしょうし、ここに書いたような文章、さらには作曲家による解説文すら読まずにお聴きいただくのが正しいあり方かもしれません。しかし、演奏会に至るまでに醸成された思いというものがあるので、それを綴りました。「私的解説」として参考にしてください。

■「たびだち・夏の國」【写真は、清道洋一さん編曲の「たびだち・夏の風」楽譜】は、今回で六回目となるシリーズ曲である。“お客様と出演者で合唱・合奏する”をテーマにして来たが、今回は趣向が変る。かつてのアンコール曲「めぐりあい」は六回で終わった。「たびだち」も六回目なので、これを最後にしようと思う。アンコール曲を、トロッタらしい形で行おうと思ったについては、きっかけがある。毎年、横浜で行われている室内楽演奏会に足を運び、そのアンコール演奏を聴いている時、トロッタでも、会の締めくくりにふさわしい演奏をしたいと思った。アンコールは演奏会につきものだから、他で思いつかず、横浜で思いついたことには、私にもわからない理由があるのだろう。その演奏会がよかったから。これが第一の理由に違いない。「めぐりあい」も「たびだち」も、作曲は宮﨑文香さんである。詩が初めにあって作曲されたのだが、二度目からは旋律に合わせて詩を書くことになる。これが毎回、大変な難儀だった。詩を書く者としては、自由に書きたいと思う。逆に、曲を書く方々は、詩にとらわれず自由な旋律を生み出したいと思うのであろうか。ここにも“詩と音楽”をめぐる課題がある。今回の編曲は清道洋一さんに依る。作曲家の個性が楽しみだ。


宮﨑文香さんの「ながさき七歌」【写真は、尺八が宮﨑文香さん、箏が小野裕子さん、詩唱が木部】は、2012年5月28日(月)、「詩の通信VI」第22号で発表した詩がもとになった。「詩の通信」は、2005年11月11日(金)に第I期がスタート。1年ごとにシーズンを改め、現在はVII期目が進行中だ。「ながさき七歌」以前、2007年2月25日(日)のトロッタ1で、「祈り 鳥になったら」という詩を無伴奏で詠んだ。これは酒井健吉さんによって曲になり、2008年8月3日(日)、名古屋で行われた「名フィルの日」で初演。その際、トロッタ1の時にはなかった長崎の歴史に関する詩文を織りこみ、時代を超えた人の物語とした。「ながさき七歌」にも同様の意図がある。宮文香さんとは、酒井さんが主宰する長崎の演奏会で知り合った。尺八修業のために上京されて以降、トロッタのメンバーとなった。アンコール曲「めぐりあい」「たびだち」両シリーズの作曲家として貴重な存在だ。それら二曲に通じる宮﨑さんならではの旋律が、「ながさき七歌」からも聴こえてくる。


■田中隆司さんが選んでくれた詩「すなのおんな」【写真は、指導する田中隆司さん、ピアノの河内春香さん、バリトンの根岸一郎さん】
は、2011年11月16日(水)の発表だ。「すなのおんな」と聞いて、人は安部公房の小説『砂の女』を想うだろう。私の「すなのおんな」は、安部作品とは何の関係もない。以下、連作「すなのおんな」の書き出しである。〈どこかで誰かが泣いている ひとりぼっち どこかで流れる誰かの涙 ひとりぼっち〉(「砂の部屋」)、「命の危うさを感じるほどの戯れ 私はもう駄目あなたも 短く叫んでうつぶせに息を止めるほどの」(「砂の戯れ」)、「遊びに行くなら帽子をかぶりなさい 母にいわれ赤いリボンの麦藁帽をかぶった 乾いた藁のにおいが頭の中いっぱいに広がってゆく」(「砂の記憶)……。第八番「砂場」まで続くが、私の中では安部作品より、泉鏡花の『高野聖』や江戸川乱歩の『化人幻戯』に近い。田中さんは、劇団・萬國四季協會、現代作曲家グループ「蒼」、それぞれのメンバーである。私の原点も芝居にあるので、音楽と演劇に足場を持つ田中さんには共感することが多い。ただ、似ていることは違うことでもある。その違いが面白い。「すなのおんな」は私の手を離れ、田中さんの物語になった。




■橘川琢さんの「夏の國memento」【写真左から橘川琢さん、森川あづささん、赤羽佐東子さん、神山和歌子さん】は、2010年8月7日(土)に行われた、「橘川琢 音楽作品個展IV」が初演。彼の詩の解釈に、私との興味深い相違がある。彼が詩に感じた激情を私は書かなかった。橘川さんの日常は抑制されたものだが、こんな激情を持っているのかと再認識した。詩について    。人の心には何人もの死者がいる。実際に死んだ人でもいいし、死なずに別れてしまった人でもいい。死んだ人の記憶と、別れてしまった人の記憶に違いはあるだろうか。死んでも心に生きている人がいる。生きていても死んだと同様の存在になった人がいる。生の国と死の国を行き来するのは、間違いなく、私たち生きている者だ。トロッタにおいて、橘川さんの曲に上野雄次さんの花は欠かせない。当然だが、死者にも花が欠かせない。なぜ、人は死者に花を手向けるのか? もちろん死のにおいを消すためであろう。野辺送りの見立てであろう。切られても死なない花の力で、死者を永遠の眠りにつかせるためでもあろう。旅立ちを美しく飾りたい意味を含めて、無数の答えがある。上野雄次さんの花に何が見えるか? 彼の花は音楽の添え物ではない。花の視覚性を含めて音楽なのである。

















■堀井友徳さんの「オブジェ」【写真左から八木ちはるさん、冨樫咲菜さん、臼井彩和子さん。スコア冒頭部分も】に詩はない。純粋な器楽曲だ。堀井さんの師、伊福部昭先生が好んでいう言葉に、次のようなものがある。「音楽は音楽以外の何物も表現しない」堀井さんも常々、心がけていることだろう。過去、三番まで達した合唱曲「北方譚詩」シリーズや、室内楽形式の詩唱曲「蝶の記憶」を発表してきた堀井さんが、初めてトロッタに出品する、詩に依らない作品である。「曲は約10分の単一楽章で、緩~急~緩(静~動~静)の大きなフォルムが、連続した7つのブロックごとにテンポ変化されて楽想が目まぐるしく次々に流動される、いわば無形式な幻想曲スタイルである」堀井さんの解説だが、これを読むと、音楽とは音による彫刻なのか、と思う。そのとおりに「オブジェ」と題されてもいる。作曲家の意図と無関係にいうのだが、詩のない音楽にも詩はある。厳密にいえば、聴いた者の心に詩が生れる。「オブジェ」について考えるうち、こんな詩を書き始めた。「その国は 光を人が浴びて生き 息を花や草が吸って生きたという 人は死に 花も草も枯れ果てたが 生きている お前は誰 何とも 得体の知れぬ 影として そこに」。堀井さんからは自作のための詩を依頼されている。



■田中修一さんは「叛逆の旋律」【写真左から神山和歌子さん、萩野谷英成さん、白岩洵さん、丹野敏広さん】について、原田芳雄主演の映画『反逆のメロディー』とは関係ないというが、題の意味は同じだ。『反逆のメロディー』「叛逆の旋律」と作品を名づけたい、心の動きが人にはある。詩も音楽も生きながら創るから、生活と密接なつながりがある。今の私は詩が書けない状況にある。トロッタの準備で忙しいなどといっているが、そうではなく、生活に潰されかけているのだ。そんな時に、田中修一さんから「叛逆の旋律」の詩作を依頼された。艱難辛苦の果てに王を殺した、古代中国のテロリストの話「聶政刺韓王」をもとにして、という。主人公には音楽にまつわるエピソードがある。古琴の曲『広陵散』の名手となり、それを手段として王に近づくのである。だから、「叛逆の旋律」。テロリストの心の動きを旋律ととらえていることはいうまでもない。田中修一さんの曲は、これまで赤羽佐東子さんによって多く歌われて来た。今回の初演者、白岩洵さんは、田中さんが選んだ男声である。白岩さんがどんな“反逆のメロディー”を歌うのか楽しみだ。詩は2012年5月14日、「詩の通信VI」21号に発表。



■酒井健吉さんの「海の幸~青木繁に捧ぐ~」は、朗読するだけでも一時間近くかかる長詩をもとにしている。初演は2008年の8月22日(金)、長崎である。私は未完成に可能性を見る。完成したものに可能性はない。未完成にこそ    。だが、誰も未完成など目指していないのだから矛盾がある。青木繁は、苦しんだ人間だ。若くして才能を認められたが、ちやほやされ、うぬぼれ、焦れば焦るほど悪循環に陥って28歳で死んだ。『海の幸』は、近代日本美術を代表する傑作だが、作品には未完の気配が濃い。殴り描きのようだ。しかし、その荒々しさが人をとらえる。恋人を含めた友人たちと千葉の海に出かけ、そこで絵を描いたというエピソードも若者のものだ。『海の幸』を始め青木繁の諸作を見ると、若々しさと官能性にあふれた傑作揃いである。その魅力にひかれて一日一篇、八篇を書いた。詩「歌声」は『天平時代』、詩「狂女」は『狂女』、詩「日輪」は『輪転』をもとにしている(自己満足的だが、青木の出身地、久留米の石橋美術館におもむき、そのホールを借りて、全篇を朗読した。いずれはそこで「海の幸~青木繁に捧ぐ~」全曲を演奏できればいい)。今回の組曲に、絵画『海の幸』にもとづく詩「死と生と」は選ばれなかった。当然、酒井さんにはこの先がある。【写真は独唱の練習にて。左から森川あづささん、青木希衣子さん。そして鍬を手にした酒井健吉さん近影/長崎より】



■秋元美由紀さんの“See-through echōs”で使われる詩は、2013年2月26日、「詩の通信VII」13号に発表した「白い夢」である。作曲はまず、映像の服部かつゆきさんと私による、ビデオレターの交換から始まった。詩はそれを受けて書かれ、曲はさらに、ビデオと詩を受けて書かれた。約30年前、私はビデオ作家の黒川芳信さんと、ビデオレターを創っていた。約3分の作品を交互に創って渡す繰り返しだった。久々のビデオレターはおもしろかった。これをずっと続けていたいと思ったほどだが、いつしか中断され、秋元さんの作曲が始まった。欲求不満に陥ったが、今回に限ってはそれが本道だ。トロッタとして初めての、映像を伴う作品である。花いけがあり、踊りがあり、芝居のようなことはあったが、映像作家の参加は初。トロッタとスコットホールの、未知の表情に出会える。演奏者としていうなら、酒井さんの「海の幸」と今井先生の「神々の履歴書」にはさまれ、これまでにない詩唱を試みたいと思っている。【写真は、服部かつゆきさん、秋元美由紀さん】

【秋元美由紀さん】
【左から萩野谷さん、秋元さん、木部】


■今井重幸先生の舞踊組曲「神々の履歴書」は、2010年3月5日(金)、トロッタ11で演奏した同じ曲とは装いを変える。あの時は室内楽のための編曲だった。今回は、舞踊曲としての編曲である。元になったのは1988年に公開された前田憲二監督のドキュメンタリー映画『神々の履歴書』。トロッタ15に今井先生は「伊福部昭讃『協奏的変容』〈プロメテの火〉」を出品された。もともとは伊福部先生に捧げた曲で、江口隆哉・宮操子振付、伊福部先生作曲の舞踊作品『プロメテの火』の主題が使われた。それに踊りを組み合わせたらと発想し、江口・宮門下の金井芙三枝さん、その弟子・坂本秀子さんのご協力を仰いで成功をおさめた。今回は、それをさらにスケールアップしたものだ。昨今、舞踊に生の演奏が組み合わされることは少ない。たいへんな経費を要するからだが、人々の熱意と協力があれば、不可能ではない。事実、トロッタで実現できている。しかも、今回は歌が入る。“詩と音楽と舞踊”というわけで、これだけの要素が揃った作品は稀であろう。金美福さん、小倉藍歌さん、猪野沙羅さん、小宮山紬さん、丸山里奈さん、佐々木礼子さん、そして振付・構成の坂本秀子さん。舞踊の方々に感謝したい。
【ピアノとスコアを前にした今井重幸先生】

【「神々の履歴書・渡来の舞」踊りと合奏の練習風景】