2012年1月6日金曜日

トロッタ15通信.34

昨日、音楽製作者のTさんから年賀メールがありました。フランスのサラヴァ・レーベルのCDを、日本で発売することになったそうです。Tさんはかつて、レコード会社のオーマガトキに所属しておられましたが、お辞めになって、その後はどうされているのか、私は存じ上げないままでした。
 年賀メールによると、今はヤマハミュージックアンドビジュアルズに属しておられるようです。そのTさんがサラヴァのCDを出すというのですから、サラヴァのCDはつまり、ヤマハから出る、ということでしょうか。そして、このヤマハミュージックアンドビジュアルズの住所が、トロッタ9の会場だった、ヤマハエレクトーンシティ渋谷と同じなのです。やはり、サラヴァのCDはヤマハから発売されると考えて間違いないようです。
 Tさんは、オーマガトキでもサラヴァを担当しておられました。新たな職場でもサラヴァに関わります。サラヴァに対する、相当の思いがあると受けとめました。そのTさんに、かつて原稿を依頼されたことがあります。サラヴァの主宰者、詩人で歌手のピエール・バルーが撮ったドキュメンタリー映画『SARAVAH』の解説です。ボサノヴァを弾いたギタリスト、石井康史さんが亡くなったことを思い続けるうち、ブラジル音楽の神髄に触れようとしたこの映像作品に、思いは自然に至りました。2006年以来、谷中ボッサで「ボッサ/声と音の会」を行っています。トロッタ以前のスタートですが、その第一回ゲストが、ピエール・バルーでした。DVDを開けて自分の原稿を取り出すと、2003年の執筆になっています。もうすぐ10年になろうとする古さです。しかし、昨日書いたような気がしています。音楽の出発点は人それぞれです。私の音楽への思いは、このピエール・バルーの姿、個人ではなくてもピエール・バルーのような人の姿(それは古来の吟遊詩人といってもいい)に重ねられます。書くことはまだ多いのですが、DVDの解説文「拒まれたピリオド。ピエール・バルーの詩と人生」を改めてここに書き、原点を振り返ります。これは、石井康史さん追悼のための準備でもあります。

〈第1回〉
あなたは−−と、他人に指を向ける前に、まず自分に問うてみる。“私は旅を必要としているのか? 旅を求めているのか?”と。
 空間移動としての旅なら。必ずしも私には必要ない。たった今いる東京を、仮に一生離れなくても苦痛を感じないだろうという予感がある。もちろん、現実の自分に満足できなくて、さまざまな事柄に思いを馳せる想念としての旅ならば、それは私にも必要だ。心の旅、精神の旅なしではたちまち窒息してしまう。
 しかし世の中には、点から点へ、線を伝って線へと、空間を移動しなくてはどうにもいられない人がいる。その過程で彼や彼女も、心の旅路をたどるのだろう。ピエール・バルーとはまさしく、そのような生来の旅人、生きていることそれ自体を旅に喩えるのはふさわしい人物だと映る。
 DVD『サラヴァ』の副題は、「時空を越えた散歩、または出逢い」。映像作品に与えられた題名だが、これはピエール・バルーその人をも表わしている。彼は時空を超えた散歩者であり、その結果としての出逢いを求め、受けとめている人間だ。
『サラヴァ』には、長短の別がある四つの作品が収められている。「1969 Rio de Janeiro」を始めとする、「2003 Tokyo」「1996 Rio de Janeiro」「1998 la suite…」。
 もともは1969年の一作だけだったのが、今や四作を合わせて全体となった。見れば、最新作が二番目に配され、第二作が三番目に配されるなどの並べ替えがある。その上で、四番目の作は“つづく…”と題された。
 製作年で区別するが、「1969」に登場したバーデン・パウエルの息子二人、ルイ・マルセルとフィリップが「2003」に登場し、「1969」では出逢えなかった音楽家アダン・グザレバラダが「1996」に現われ、そのアダン作曲の『アラウルン』を「1998」ではビーアが歌う。
 バーデンを始め、ピシンギーニャやジョアン・ダ・バイアーナは既に亡い。しかし40数年前、ピエールをブラジル音楽に巡り合わせたシブーカの姿を、私たちは観ることができる。マリア・ベターニアとパウリーニョ・ダ・ヴィオラはいまだ若く、その一方でアダンは貧民街から教会の施療院へと身を移し、したたかに音楽を創り続けている。そして、そうしたことの一切に立ち会い、観る私たちに語りかけるのはピエール・バルー。人と人、街と街、国と国、さらに時間と時間を結ぶ、音楽というものの力、不思議さを実感する。
「1998」が「1969」に還ってゆくととらえてもいいし、「1998」から伸びる線上に、まだ創られぬ何かがあるととらえるのもいい。それはもしかすると映像の形をとらず、詩として現われるかもしれず、『ラスト・チャンス・キャバレー』のように音楽劇の姿をまとうかもしれない。全体が円環する場合でも、環の途中に未来の作品が挿しはさまれていくだろう。いずれにせよ『サラヴァ』の世界は永遠に終わらない、終わらせないというピエールの意志を見る。旅人の態度である。旅とは何かを知っている者の態度である。(つづく)

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