2011年4月19日火曜日

トロッタ13通信(3)

(其の五)
“詩と音楽を歌い、奏でる”と、銘打ちました。音楽を歌い、奏でるには異論はないでしょうが、詩は、歌うものでしょうか? 奏でるものでしょうか? 答えは出ませんが、ただ読むだけのものにはしたくありません。少なくとも黙読には終わらせたくない。声に出して詠むうち、詠み手だけのリズムが生まれ、原初のメロディが生じる。そして楽器とともに詠み、あるいは他の声と重ねることで、ハーモニーもまた生まれる。それは音楽と呼べないのでしょうかと、問いたいのです。
 私たちの歩みは、五里霧中です。しかし、まず行為ありきです。答えは行為の後についてくるでしょう。何度、会を開けるかもわかりません。まず、1回、そして次の、1回。少しずつ、歩んでまいります。(第1回チラシ・挨拶より/2007.2.25)

 発会にあたり、まず2月・3月の松濤サロン公演に全力を傾注してまいりました。この先がどうなるか、継続を当然としながらも、予断は許されない状況です。皆様、「トロッタの会」を、よろしくお願いいたします。作曲者、演奏者だけで成り立つ会ではありません。お聴きいただき、ご来場いただけなくともお気にかけていただき、さらにはご批評をいただく皆様の支えがあって、初めて私どもは「トロッタの会」を催すことができます。舞台と客席が融け合う会場全体が、「トロッタの会」なのです。将来をご支援いただきますよう、お願い申し上げます。(第2回チラシ・挨拶より/2007.3.25)

 ……3月公演でお聴きいただきました酒井さん作曲の歌曲、『唄う』の詩を思い出します。
「誰のためでもなく 何かのためでもない 私はただ 音楽の神を想って唄う(中略)きっと聴いてくれる 聴いてほしいと願い それが唯一 私が素直になれる時」
 基本は、ここにあります。この姿勢さえ忘れなければ、私たちにはどんな冒険心も実験精神も、許されると思います。何といっても、どの作品もオリジナルです。作曲者本人が、会場に身を置き、皆様と共に曲を聴いています。どんな批判をいただいても謙虚に受け止めます。演奏者については、同様のことをいうまでもありません。たった今、生きている姿を、彼らはご覧にいれているわけです。今後は、会のメンバー以外の曲、亡くなった方の曲、外国の方の曲も取り上げる機会があるでしょう。しかしその場合も、これは「トロッタの会」として演奏する、自分たちの曲だという気持ちを忘れません。(第3回チラシ・挨拶より/2007.5.27)



「トロッタの会」は、当初の3回を、渋谷区松濤にある、タカギクラヴィア 松濤サロンで開いた。当時のチラシから、部分を引用した。小さな会場だが、ほんの二、三十席を埋めるのでも大変である。ひとりの人にせよ、その方の時間とお金をいただくのだから、ほとんど無理に近いことだとさえ思う。生硬な文章だが、基本的な姿勢は今も変わっていない。感謝し過ぎてし過ぎることはない。しかし、その感謝に自分で潰されないことも大切であろう。

(其の六)
 過去のチラシを見るたびに、小松史明の絵の見事さを実感する。小松によるチラシが配られた時、トロッタの幕は上がっている。第13回のチラシで初めて、出演者欄に、小松の名前とプロフィールを加えた。彼もまた、トロッタの第一回から欠かせないメンバーだから。(チラシをあまりぜいたくに作る必要はないのでは? とよくいわれる。決してぜいたくではない。チラシは小松史明の作品である。10円コピーでは作れないし、仮に10円コピーで作るとしても、そこに作品としての質を求めたい。白黒コピーが芸術の価値を持ったなら、それはすばらしいことだ)
 同じチラシに書いたが、小松史明とは、2006年5月19日(金)、文京区小石川図書館で初演した『新宿に安土城が建つ』のチラシを作ってもらって以来のつきあいだ。崩壊する安土城のイメージがみごとであった。トロッタの初期は、鳥、それも鵯(ひよどり)の絵を連続して描いてもらった。第1回公演では、酒井健吉の『ひよどりが見た』と田中修一の『立つ鳥は』を初演している。トロッタは、鳥に縁が深かったのである。
 小松は、私がかつて文章の実践的講座を担当していた、日本工学院専門学校の学生であった。私が彼を直接に教える機会はなかった。しかし、その時の人間関係が、小松との縁を作ってくれた。トロッタの記録映像を10回まで撮ってくれた映像集団、ゴールデンシットの名を記しておきたい。彼らがいたから、小松のトロッタ参加は実現した。『新宿に安土城が建つ』は、ゴールデンシットとのコラボレーション作品でもあったのだ。人と人の結びつきの大切さを思わずにはいられない。

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