2010年2月22日月曜日

「トロッタ通信 11-41」

6) 長谷部二郎さんと「人形の夜」


清道洋一さんの章から連続するようなテーマになります。

学生時代、天本英世氏の朗読を聴きました。何度か聴いたのですが、フラメンコギターの蒲谷照雄氏と共に、私の通っていた大学に現われ、講演をし、ロルカの詩を詠んだ姿が、最も記憶に残っています。

詩の朗詠、あるいは朗唱としては、やはり学生時代ですが、天本氏以前に聴いた、寺山修司氏の朗読が鮮烈でした。寺山氏は、舞踏家の踊りと共に詠みました。女子大でしたが、男性舞踏家が全裸だったので、聴衆が皆、目をそむけていた姿が忘れられません。どうということはないと思いますが。

天本氏を朗詠、朗唱といい、寺山氏を朗読というのは、個人的にはニュアンスを変えていますが、はっきりしたものではありません。感覚です。音楽を伴っているかどうか。それ自体が音楽的であるかどうか。歌に近いかどうか。いろいろなことを考えながら使い分けています。私の場合は、詩唱、というわけです。そして楽器というなら、詩にはやはりギターが、最もふさわしいでしょうか。ふさわしすぎるので、清道氏のように、弾きながら詠むだけならシンガーソングライターと変わらないという意見も出るわけです。当然だと思います。

映画俳優として、子どもの頃から親しんできた天本氏でしたが、その彼が朗読者であることを知ったのは、大学生になってからです。友人のTが教えてくれました。今もそうですが、新宿駅周辺を歩くことが多かったのです。ある日、Tがいいました。

「天本英世、よく新宿を歩いてるよ。黒いマントを羽織って。目立つよ」

その後、私も何度か見かけました。確かに目立ちました。長身で、痩身で、真っ黒なマントを羽織り、ブーツを履いていました。Tは、天本氏がロルカの詩を朗読しているとも教えてくれました。しかし、その時の私は、詩人で劇作家で、作曲家でもあったロルカのことをまったく知りませんでした。今でも、知っているとはいえないと思います。(39回/2.18分 2.22アップ)


「スペイン全土を巡る」と副題された『スペイン巡礼』を天本氏が刊行したのは、1980年のことでした。これを記念する形で、天本氏がテレビに出て語る機会がありました。ちょうど、芝居の公演を終えたところで、関係者の家におり、見逃して無念だったことを覚えています。

『スペイン巡礼』は、何度も繰り返して読みました。続いて出た『スペイン回想 「スペイン巡礼」を補遺する』も、繰り返して読みました。そこに、私の大学での講演記録が、そっくり載っています。その一節を、私は心に刻んでいます。

「……フラメンコというのは、日本では誤解されていまして、ガチャガチャした騒がしいようなものと一般には考えられています。もう一つの誤解は、フラメンコというのはギターだと思われていることです。さらにもう一つの誤解は、フラメンコは踊りだと思っている人がいることです。/これはすべて大変な誤解でありまして、本当のフラメンコは何であるかといいますと、これは唄であります。フラメンコというのは、遠い昔にはまず唄だけがあったのであります。まったく楽器の伴奏のない、無伴奏の唄だけがあったのであります。貧苦に苦しむ圧迫されたジプシーが、自分の生きていく苦しみをうなるように唄う、この唄だけがあったのであります」

このようなことを、学生に向かって語ってくれた天本氏に感謝します。

引き写していて、我が身を省みました。私は、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩にしているでしょうか? トロッタの舞台で、「自分の生きていく苦しみをうなるように」詩唱しているでしょうか? 疑問です。(40回/2.19分 2.22アップ)


昨年から、ギターを習うことにしました。先生は、長谷部二郎先生です。習い始めてすぐ、長谷部先生に、トロッタ11にご参加いただくことになりました。先生には、自作を発表したいというお気持ちがあったのです。

ギターは習い始めましたが、清道さんの表現を借りれば、私は、シンガーソングライターのように歌う気はまったくありません。気持ちよくなるのはけっこうなことだと思いますが、天本氏がいうように、ジプシーのように、自分の苦しみをやむにやまれず唄っている人がいる一方で、日本にも、唄わないまでも、日々の苦しみを抱えている人が多くいる状況下、ギターを弾いてひとりだけ気持ちよくなろうとは思いません。もちろん、苦しみの押し売りなどはしないことです。

長谷部先生と、どんな曲がよいか相談するうち、できたのが、『人形の夜』という詩でした。短い詩です。


人形の夜


木部与巴仁


コツコツと音をたて

マントの裾をなびかせて

夜になると踊っている

黒い貴婦人


閉じない瞳が

闇の中で光っている

静かに青く

前だけをみつめている


重かったり軽かったり

隠れた両手に

男の生命(いのち)を抱いている

死んでいった男たち


朝になれば

窓辺にじっと置かれている

黒い貴婦人

ただ一個の木偶(でく)として

夜になると踊っている

コツコツ コツコツ

音をたて


この詩の人形は、ある木彫家の作品集に登場します。作家が、自身の「黒い貴婦人」を踊らせていたかどうかはわかりません。私には、マントを着て踊っているように見えました。改めて見ますと、天本英世氏を引用したから思うのでしょうが、ちょっと、フラメンコの匂いが感じられる人形です。苦しみを唄っているかどうかはわかりません。しかし、女性も男性も、長く生きれば生きるほど、心に苦しみを抱えるようになるでしょう。苦しんだまま生きているでしょう。苦しみは、なかなか人にはいえないものです。いえないから苦しいわけです。そのような貴婦人が、夜になるとひとりで踊っている。朝になると、人形としてじっとしている。また夜になると……。

そんな不思議さが表現できればいいと思います。(41回/2.20分 2.22アップ)

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