2010年1月16日土曜日

「トロッタ通信 11-5」

(そろそろ、過去にさかのぼって書けるかなという気になっています。/1月18日にアップしました)

『原野彷徨 更科源蔵書誌』という、小野寺克己氏の労作があります。更科源蔵の著作、文献、年譜をまとめたものです。これ一冊を持っていれば、更科源蔵の一生は、ほぼつかめます。伊藤整や小林多喜二の名も見えます。『知床半島の漁夫の歌』のもとになった詩、『昏れるシレトコ』を書くきっかけになった、知床半島への旅のことなども記されています。

ただ、1983(昭和60)年、若かった私も記憶している事柄、年譜に「アイヌ女性より第一法規刊『アイヌ民族誌』に掲載の写真について肖像権侵害、と東京地裁に訴えられる」と書かれた点は、詳細がわかりません。更科の死後、1988(昭和63)年に「和解」したと、短く書かれているだけです。もちろん、事実を伝えるのが『原野彷徨』のテーマなので、より深い内容については、知りたいと思う読者ひとりひとりが、探ればいいのです。更科の晩年に起こった、残念なできごとですが、裁判になった以上、残念なのは更科、アイヌ女性か、周囲の者が軽々しく判断することはできません。しかし、見過ごせない重要なことではあります。

私は『原野彷徨 更科源蔵書誌』を、札幌の古書店で買い求めました。発売元である古書店、サッポロ堂書店のご主人、石原誠さんのご好意によるものでした。石原さんには、たいへんお世話になりました。『伊福部昭 音楽家の誕生』は、石原さんを始め、多くの方々のご好意がなければ完成しませんでした。となると、そうした方の存在は、トロッタの会の遠い出発点にもなっているわけです。トロッタの会をスタートさせてから、その事実を、私は一度も自覚しませんでした。伊福部先生のことは、常に思っていましたが。たいへん、失礼なことでした。申し訳ありません。

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