2010年1月25日月曜日

「トロッタ通信 11-12」

*以下の文章は、「トロッタ通信」の1月22日分で、1月25日にアップしました。


中川博正さんは、詩唱の表現者として来てもらいました。何も、私が自分の表現を追求したいから協力を求めたのではなく、役者であり声優である、彼の表現にも役立つ、詩唱もまた彼の表現になると信じるからです。

そこで、1月20日(水)、西荻窪の奇聞屋にて、彼と一緒の舞台に立ちました。音楽はありません。声だけの舞台となりました。本来は、即興ピアノを弾いてくださる吉川正夫さんがおられるのですが、お風邪をひいてお休みでした。つまり、助けになるものがないわけですが、それでいいと思いました。詩唱だけで独立した表現にできます。

作品は、私の詩『夜が来て去ってゆく』を選びました。清道洋一さんのリクエストに応えて書いた詩で、「ドアを開けると/女が男を殺していた」のように、ドアを開けると、次から次へと、思いがけない光景が展開してゆくといった内容です。舞台が始まる2時間前に集合し、西荻窪で稽古をしました。私は、自分で書いたのですから内容をわかっていますが、中川さんは、この日に初めて目を通す詩です。即興が苦手だということでしたが、時間がないので、ひらめきをそのまま舞台で表現することにもなりました。

即興表現だけがよいのではありません。しかし、即興にも対応できればしたいと思います。何かが起きた時、舞台でとっさの判断ができることは重要です。それは、自分の声を聴くことでもあります。役者は、長い稽古を積み重ねて舞台に立ちますから、知らず知らずのうちに、稽古してきた通りに演じようと思いがちです。それでいいのですが、自然の生理に素直になることも大切です。舞台で、こうしたいと思えば、それに従おうと思います。生きているのだし、再生機械ではないのですから。

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