2009年11月27日金曜日

「トロッタ通信 10-19」

オノレ・シュブラックという男が、ある人妻に恋をします。夫の留守中に逢い引きをしていると、そこに夫が現われ、オノレ・シュブラックをピストルで撃ち殺そうとします。恐怖にかられて壁にはりつくと、そのまま壁に溶けこんで消えてしまう。これが「滅形(めっけい)」です。彼は難を逃れましたが、恋する人妻は撃ち殺されました。以来、夫の目を逃れて、パリの街を彷徨する。夫に出会うたび、壁に溶けこんで……、という物語です。


今井重幸先生に、お話をうかがいました。


「アポリネールの短編は、小説ですが、戯曲風の趣があります。初演では、ベテランの俳優で、声優でもある八木光生さんに出演していただき、彼が原作をすべて語りました。また、紀さんがアポリネールのいくつかの詩句を引用し、これを構成して三つの詩を作りましたので、メロディを添えて歌にしました。歌い手は二十絃奏者です。箏と弾きながら歌ってもらいました。さらに、ブリッジと呼ぶ短い曲を書いて場面をつなげてゆく。そのような構成の曲にしました」


今井先生によると、紀光郎さんは、花柳伊寿穂の名前でご活躍の日本舞踊家ですが、紀光郎名義で、台本作者として活躍しておられます。また、お兄様がフランス文学者であり、その影響で、紀さんもアポリネールなどの作品に親しんでおられたとか。紀さんが、アポリネール作、堀口大學訳の『オノレ・シュブラック滅形』をもとに、音楽作品を創ってみたいと欲したのは、自然なことでした。


「語りを伴う音楽というのは、1953年(昭和28)年にNHKで制作しました、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』や『杜子春』など、若いころからテレビなどのために劇音楽をたくさん書いて来ましたから、私としては慣れています。注意しなければならないのは、ドラマの激しい場面に、激しい曲を書く、悲しい場面に悲しい曲をつけると、ドラマの深みをなくしてしまうことです。日本の演出家には、そこをわかっていない人がたくさんいて、場面をなぞるような音楽を要求されることが多いのです。私もしばしば、演出家たちと議論をして来ました」


2003330日(日)、上野の東京文化会館で行われた「今井重幸/回顧展コンサート」で、『「草迷宮」のイメージに拠る詩的断章』が初演されました。もちろん、泉鏡花の『草迷宮』が原典にありますが、今井先生ご自身が、舞台演出家としての名前、「まんじ敏幸」として詩を書かれ、バリトンによる歌と語り、童声による合唱ありの作品となったのです。詩の一節を引きましょう。


鎮守の森のてっぺんから 烏天狗が舞い下りて

赤いおべべの娘が二人 手毬(てまり)をついて 鞠(まり)ついて

ひとつとせ ふたつとせ 三っつとせ 四っつとせ

烟(けむり)のように 烟のように

昏(くら)い空へと かき消えた


当日のプログラムに、音楽評論の片山杜秀氏がまとめた、先生の言葉があります。

……どのようなテキストに作曲するかとなりますが、私としてはどうしてもまず幻想的なおどろおどろしい世界をやりたい。私は演劇とのかかわりでも舞踊との関係でも、日常のリアリズムを超えたアンチ・リアリズムの世界、人間の見えない本質が闇のそこからたちあらわれてくるような超現実的な、不条理な、あるいは反近代というか土着的というか、そうしたテリトリーに感心がずっとありました」

『奇妙な-ふしぎ-な消失』、トロッタ10のための『時は静かに過ぎる』も、そのような志向のもとに作曲された音楽世界といってさしつかえないでしょう。

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