2009年11月19日木曜日

「トロッタ通信 10-11」

■ 花の三部作


橘川琢さんの『死の花』は、『花の記憶』から『祝いの花』へと続く、彼にとっての花三部作、その二曲目にあたります。

橘川さんの曲は、他の方と比べて良い悪いをいうのではなく、ほとんど詩の改変がありません。『冷たいくちづけ』や『うつろい』『恋歌』『異人の花』『花骸-はなむくろ-』など、彼との共同作業はたくさんありますが、常に、私の詩に忠実に作曲していただいています。

唯一、大きな違いだと思ったのは、2007年5月27日(日)、彼が第三回公演で初めてトロッタに参加した時の曲『時の岬/雨のぬくもり 木部与巴仁「夜」・橘川琢「幻灯機」の詩に依る』でした。私の詩「夜」を「時の岬」に改題し、この曲のための書かれた橘川さんの詩「幻灯機」を「雨のぬくもり」にして、一曲にまとめたのです。彼がなぜ新たな詩を書いたのか、知らないままです。詩を書くことで、私の詩と、橘川さんなりに取り組もうと思ったのでしょうか。自分の側に、強く引きつけようとしたということ。もちろん、橘川さんも詩を書き、一曲にして提出したいと思ったのかもしれません。


トロッタに参加するに当たって、橘川さんの関心が、次の言葉からうかがえます。雑誌「洪水」第一号で、私、橘川さん、田中修一さんによる鼎談が行われました。橘川さんの発言です。


「これはトロッタの会に対する私のスタンスにも関わることですけど、通常音楽会という形で詩と音楽の融合が目的とされるとき、それぞれが対等に主張するということは意外と少なくて、最終的には詩もしくは音楽どちらかの強さに収斂されてしまう傾向があると思います。トロッタの会のお誘いを受けたとき、詩と音楽とがほとんど対等な形で会の時間の中で存在してもいいんだという、そのことがとても面白かったんです。ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げているという感覚です」


トロッタ10の新曲、『死の花』がどのようなものになるかは、まだわかりません。ただ橘川さんは、『死の花』の作曲が、たいへん難しいものになるだろうと、ずっと以前から口にしていました。私もそう思いました。

それは、橘川氏にとって大きな転換になったのではと思われる、『花の記憶』が、あまりにも完成度の高い曲であり、演奏になったからです。

『花の記憶』は、2008年10月20日(月)、日本音楽舞踊会議 作曲部会公演にて初演されました。そして再演は、同じ年の12月6日(日)、第7回トロッタの会。三演は、2009年8月2日(日)、名古屋のしらかわホールで行われた「名フィルの日 2009」でした。


初演以来、少しずつ形を変えて、3度、演奏されています。演奏するたびに、好評をもって迎えられています。とりわけ、花いけの上野雄次さんの存在は、他の方の曲との違いを際立たせています。音楽の進行に伴って花をいける。これが音楽の要素になっているのですから。

『死の花』を作曲する時は、いっそ楽器を少なくし、尺八と何かだけにしようかなどと考えておられました。思い切ったことをしないと、『花の記憶』との違いが浮かび上がらない、というのです。

しかし、「洪水」の発言にもありましたが、「ひとつの芸術の分野だけで時間を作るのではなくていろんな芸術の分野が同時進行的にある面白い場というか空間を作り上げ」るため、私の詩はもちろん、上野さんの花いけをも音楽と考えて、彼は作曲をしていく宿命にあると思います。個展を開いた時には、扇田克也さんのガラス造形作品を、一曲の中に生かしました。扇田さんの展覧会では、すでに二度、自分の曲を発表しています。


橘川さんは、以前、曲に題をつける時は、図書館に一日こもり、片端から本を開いて、言葉を探していったといいます。私と共同作業をするようになってから、その必要はなくなっているはずです。

橘川さんの方法に、間違いはありません。人にはそれぞれの方法があります。私は、ほとんど図書館に行きませんので、橘川さんのようなことはしませんが、彼なりに言葉との出会いを求める、飽くなき姿勢といえます。


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