2009年9月3日木曜日

数日のことなど b)発行日を間違えました

8月31日(月)に、「詩の通信IV」の発行日だと書きましたが、間違いでした。まだ先の、9月7日(月)です。間違えたおかげで、詩はほぼできましたが、することがいろいろある中、余計な作業ではありました。

かつて、オープンマイクの、詩の朗読会に出た時のことです。順番は自由で、名乗り出ればよかったのですが、その夜は無性に詠みたくなり、いちばんに舞台に立ちました。とにかく、詠みたかったのです。身体が止まりませんでした。奮えが来るようでした。早く詠みたい気持ちでいっぱいでした。決して上手な朗読ではありませんでしたが、その時の気持ちを、忘れたくないと思っています。義務でも何でもなく、本当に詠みたかったのです。その時の詩は、後に清道洋一さんの手で音楽になった、『ナホトカ音楽院』でした。

やはり私は、アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスに影響を受けているなと、ここ数日、実感しています。去る6月に、ボルヘスの『創造者』が岩波文庫に入ったことで、心が改めて動きました。トロッタ9とボッサ5のチラシを置きに回っていて、古本屋に置かせていただく場合は、何か本を買います。決まって探すのが、ボルヘスの作品です。私の作品には、ボルヘスの影響をまともに受け、自分もこんな世界を創ってみたいと思って書いた詩があり、それは恥ずかしいことだと思いますが、その恥ずかしさを直視しようと思います。作品は、「詩の通信I」にある、『何を、私たちは知っているというのか』です。その前後に『椅子のない映画館』と『犀』があり、これらもボルヘスの影響下にあるのでしょうが、少し違うところに立つものだと思います。特に『椅子のない映画館』は。私の課題は、『何を、私たちは知っているのか』を、より強く、私の側に引きつけ、書き直すことです。そうしたら、どなたかに、作曲していただきたいと思っています。愛着はあるのです。

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